大曇伝

月に叢雲、花に風

浪星の記(二)

長いトンネルを一人、歩いていた。
朝五時。小倉港からゆらり揺れながら松山に向かっていたフェリーは、ひっそりと港に着岸した。
今治で新米を買っていただいた方にお礼を言いに行く。
基本は手渡しのところ、重過ぎて担いでいけない場合は、先に米袋で郵送し、あとでご挨拶に行く、という心算。
ものすごく非効率で、ものすごく温度のあるやり方にこだわっている。
実際に、全員と顔を合わせることは難しくとも、この心がものすごく大事だと思っている。
こういうことを話すと呆れた顔をされる。それはそうだ。どうやって生活していくのだ、と。
しかし、こちらも生活を賭けて本気で遊んでいるのだから、これぐらいやらないと気が済まない。
ヘソが曲がり過ぎた男の成れの果てだ。

 

港を出る。着込んだので、寒くはない。
ただ、昨日から喉の上部が炎症を起こしているので、身体を冷やさないように注意したい。
今治行きの公共交通機関を探す。
なに。松山駅経由で道後温泉までのバスは出ているが、今治方面に向かう駅に行く手段はないだと。
くそっ。タクシーで行けとでも言うのか。
仕様がない。歩いて伊予和気駅まで歩くことにした。トンネルを潜って坂を上り、大体5〜6k㎞という道のりだ。動いて身体を温めるクラシックなスタイルである。

まだ外が真っ暗闇の中、一人ベースギターを背負いながら、ぽつりぽつり、足を前に出す。
そういえば、先月友人が、平塚から心斎橋までの道程500㎞を大行進するという偉業を成し遂げていたな。
予想以上のペースで歩いていた彼は、毎晩暗闇の中で泣いていたという。
しっかり泣くことで、悪い先輩からの無茶振りと、壮絶な行程による行き場のない感情を、身体が自然に体外へ出していたらしい。
すごい話だ。天晴れ。到底、常人が真似できることではない。

これは彼も本当に孤独だったなあと、長いトンネルを抜けたところで、まだ闇が深いことにため息が出そうになる。
電灯などほとんどない夜道。
ふと、見上げた空。星。暗闇だからこそ、映える無数の星たち。
思わずぐるりと頭を一周させる。
なんときれいな星空だろうか。
都会では見ることのできない、闇が深いからこその光。輝きだ。

君もまだ暗闇の中を歩いているだろうか。
足元を見ながらしっかり歩くことも大切だが、たまには空を見上げ、遥か遠くの誰かに想いを馳せるのも悪くないぞ。
私もあと何回、君と同じ空を見られるだろうかな。

 

伊予和気駅からJR予讃線に乗って今治へ向かう。
途中、瀬戸内海が車窓から見えた。
ああ、またこの景色を眺めることができたな。
山側には蜜柑。車内には教科書を広げる高校生。学ランを着た純朴そうな男子が、何やら小説を読んでいる。それを見て、なぜだか少しホッとした。

結果的に、高校も大学もストレートで卒業させてもらった私から言わせてもらうと、高校も大学も行っても行かなくとも、どっちでもいい。
そこでしか学べないことがあれば受験すればいいし、なければ自分で学べばいい。辞書を引くなり、インターネットで検索するなり、現場に飛び込めばいい。
私が先日会った18歳になる男子は、物心ついた頃から城の研究をしていて、大きな模型を作ったりしながら、どこかの学者と本を出版したりしている。
彼はいま建築史を学ぶために、京都大学を受験しようと準備している。
しかし、高校には自主的に進まなかったので、基本的に一人で学業に励んでいる。しっかり話を聞いた訳ではないが、高校進学は自分には不要だと思ったのだろう。
私は、どんな進路にせよ、しっかり自分で先を見据えて、歩む方向を自分で決めていることが素晴らしいと思った。
私などなにも考えていなかった、訳でもないか。十代から二十代前半は、とにかく闘志湧き上がる野球道だけを求めていた。

義務教育は、終わっている。
良い高校、良い大学、良い会社に入るのは、それ相応の努力をしたからこその結果であり、無論、立派なことだ。
しかし、私はそれよりも、その先にある“どんな人間(自分)で在りたいか”を描いて生きる方が、はるかに大切だと思っている。
その高校、その大学、その会社を通して、どんな人間(自分)で在りたいのか。
正解は外にはない。だが、ヒントを与えてくれる者はいる。
大人。子どもの周りにいる大人たちが、一つずつ歩んだ道を見せてくれる。
その雰囲気、景色を感じながら、子どもはそれを参考にして、少しずつ、自分の道を決めていく。

誤解を誘いながらいうと、私が見るに、子どもに過干渉している大人ほど、自分の過去に何らかの負い目を持っていて、それに蓋をするかたちで、子どもにそうはなって欲しくないというテイで、期待という名の圧をかけている。
別に、やりたいようにやればいいと思うが、その場合、少し順番が違うのではないかと思う。
まず、過去に負い目を持っている大人(自分)が、そこを克服するなり、懸命に向き合う姿を見せることが大事だ。
私がこうだったから、あなたにはそうなって欲しくない。だから頑張って、ではない。
私はこうだったから、すごく辛かったけれど、それでもやっと少しずつ良い感じにやれてきている、だからあなたもきっと大丈夫。たくさん悩んで、たくさん苦労しなさい。
これだと思う。
ただの理想論だろうか。
しかし、理想を語れる大人(自分)が、果たして何人、子どもの側にいるだろうか。

 

極論、自分のやりたいように、やればいいだけだ。
人間、悲劇と喜劇の繰り返し。
一生、同じことをやっている。
その中で、いかに遊べるか。
苦しみも、悲しみも、絶望も、落胆も、全部まとめて愉しめるか。
それが、私にとっての死ぬまでのテーマであり、一生涯をかけて追い求める境地である。

さあ、君もそろそろ聞き飽きた頃合いだろう。
陽は昇った。愛媛の空も青い。
君は今日、どんな空を見上げるだろうか。